今日は日曜日。
定休日を利用して、店内の抹茶の値付けをしていた。
8月1日から価格改定となった商品がいくつかあったので休日も仕事に追われる。
ありがたいことではある。
ただ、これだけ忙しい状況を前に、ふと考えることがあった。
このままで、本当に良いのだろうか。
誰しもが仕事や人生において一度は考えることではあるが、私の答えはまだ出ていない。
日本だけでなく海外から連日のように注文や問い合わせが来る。
この抹茶ブームに疑問も湧く時があるが、必要とされることはとてもありがたいことだと思っている。
だから今日は、雑感として書き留めておこうと思う。
そんな日曜日の雑感コラム。
今の価格は、本当に価値なのだろうか
今、抹茶は世界的な需要の高まりによって品薄が続き、価格も大きく上昇している。
「抹茶は高級品になった。」
そんな言葉を耳にする機会も増えた。
しかし、一つの疑問がある。
今の価格は、本当に品質を評価した結果なのだろうか。
それとも、単純に手に入りにくくなったから高くなっているだけなのだろうか。
この二つは似ているようで、本質的にはまったく違う。
世界から見て、希少だからこの価格なのか、品質が高いからこの価格なのか。
コーヒーが教えてくれた「価値」の作り方
先日、スペシャルティコーヒーについて学び始めた。
ハンドドリップでコーヒーを淹れたが、抹茶を点てている時間と同じで、
コーヒーを自分で抽出している時間は集中できて心地よい。
ワインの世界には「テロワール」という考え方がある。
土壌だけではない。
気候、標高、寒暖差、降雨量、地形。
その土地が持つ環境すべてが、その土地だけの風味を生み出すという思想である。
そして、スペシャルティコーヒーも同じだった。
産地だけではない。
標高、品種、精製方法、生産者。
その背景を知ることで、一杯のコーヒーの価値が理解できるようになる。
だから価格だけを見て判断するのではなく、「なぜこの価格なのか」が理解でき、納得して購入する人がいる。
そして背景を知ることで、味の表現や想像も豊かになるだろう。
クラシック音楽もそうだ。
ドヴォルザークの新世界も、その曲の成り立ちやドヴォルザークの半生を知ると音楽に空間が生まれる。
まるでコーヒーのアロマのように。
抹茶も、本来は同じではないだろうか。
抹茶にもテロワールがある

抹茶にもテロワールがある。
宇治と八女。
京都と愛知。
京都では同じ宇治市でも、畑や品種が違えば味わいは変わる。
肥料が違えば味の持つ力強さも変わる。
覆下栽培の日数。
その年の気温や降雨量。
合組(ブレンド)という、日本独自の技術。
さらに、生産者や茶舗が長年積み重ねてきた伝統と経験。
そのすべてが、一服の抹茶を形づくっている。
品種:やぶきた
(Stone-ground matcha made from Kodakami tea)
Made from Yabukita, Japan’s most widely cultivated tea variety, it offers a gentle aroma, balanced umami, and a clean finish.
しかし現在の市場では、そうした違いよりも、
「宇治だから」
「人気だから」
「品薄だから」
という理由で価格が語られることも少なくない。
品評会では宇治の茶が他の産地よりも下の順位に評価されても、
実際に入札されるときは宇治が一番高かったりする。
これは、品評会の順位だけでは測れない産地性や市場価値、
茶商が長年培ってきた評価が、入札価格に反映されているからでもある。
ただ、ここには違和感もある。
京都や宇治で作られた抹茶だからといって、すべてが同じ品質ではない。
もちろん、宇治という大きな括りで他産地と比較すれば評価は高い。
けれども実際には、栽培方法、原料、製法、そして作り手の思想によって味わいには大きな差がある。
それにもかかわらず、「宇治」という産地名だけで品質まで保証されたように受け止められることがある。
一方で、価格を最優先にした市場では、本来評価されるべき品質よりも安さが優先され、
味と価格が必ずしも釣り合っていない商品も存在する。
こうした市場のあり方には疑問を感じる。
宇治だから売りたいのではない
ここで、誤解してほしくないことがある。
私は宇治というブランドを否定したいわけではない。
私の店に並んでいるもののほとんどが宇治の抹茶だ。
宇治には世界に誇れる素晴らしい生産者や茶舗が数多くある。
だからこそ、
「宇治だから売りたい」のではなく、「宇治の中にも違いがあり、その違いを伝えたい」
それが、抹茶専門店として大切にしたい姿勢である。
一服の抹茶を飲んで美味しかったというメッセージを頂けることは非常にありがたい。
私がその抹茶を選んだのは、これなら喜んでくれるだろうと思って店頭に並べるからだ。
その作業はいつも楽しく、心躍る。
反応が良くないと、一人で頭を掻くときもある。
薄茶用ですがラテとしてもおすすめ
Uji matcha with a perfect balance of umami and astringency.
抹茶も産地という名前だけではない。
どのような土地で育ち、どのような考えで作られ、どのような味を目指したのか。
その背景まで知って一服を選ぶ。
そんな楽しみ方が、抹茶にもあってよいと思う。
本当に育てるべき市場
もちろん、供給不足によって価格が上がること自体は、市場原理として自然なことである。
最近では中東情勢の影響でナフサ不足となり、袋代が上がった。
ジップつきの抹茶の袋のジップ部分。あれがナフサ100%らしい。
抹茶と戦争は遠い存在で、まさかそんなことで商品価格が上がるとは思っていなかった。
抹茶はただただ供給量が少ないために価格が上がってしまっている。
とは言え、抹茶一杯には2gしか使わないのでそれほど高いという印象は受けにくい。
しかし、その感覚だけでは長く続かない。
もし数年後、需要が落ち着き生産量とのバランスが取れるようになったとき、
市場が価格だけで商品を選ぶようになれば、品質を守るために時間も手間もかけてきた生産者ほど苦しくなる。
事実、抹茶ブームとなる前の荒茶相場は低かった。
そもそも抹茶を日々飲むという人は日本でもいまだ少ない。
どちらかと言えばアイスや菓子などの加工用が支えていたようなものである。
そうなると、次世代に担う人がおらず高齢化が進み、生産量は減少する。
生産者目線で言えば、このままブームが去っても抹茶を飲むという人口が世界中に定着してくれれば、
未来は明るいのだと思う。
一方で価格競争は、生産者の技術や挑戦を評価しない市場を生み、結果として品質の低下や茶文化そのものの衰退につながるかもしれない。
私が目指したいのは、
供給不足だから高い市場ではなく
品質の違いが理解され、その価値に対して正当な価格が支払われる市場である。
ワインにはテロワールがある。
スペシャルティコーヒーには品種や精製方法がある。
抹茶にも、本来それに匹敵するだけの奥深さがあると信じている。
その価値を、もっと多くの人に知ってもらいたい。
それが、これからのMatcha文化に必要なことではないだろうか。
この夏の記録として
この文章を書いているのは、2026年の夏である。
世界的な抹茶不足が続き、価格は大きく動いている。
数年後、この状況は落ち着いているかもしれない。
あるいは、まったく違う市場になっているかもしれない。
その頃、この文章を読み返したとき、
「丸竹夷は、あの頃から価格ではなく価値を語っていた店だった。」
そう思っていただけたなら、この雑感を書き残した意味はあったのだと思う。
今はきっと何を理想ばかり語ってと思われているのかもしれないが。
「ああ、この抹茶は美味しいな。」
そんなふうに誰かの日常の中で喜んでもらえる抹茶を届けていきたい。
そして、近い将来には産地やブランド名だけではなく、
一服の抹茶に込められた土地の個性や、生産者の思想、技術まで含めて選ばれる市場が育っていてほしい。
そんな未来を迎えられたなら、日本の抹茶文化は、今よりもずっと豊かなものになっているはずである。
私がその未来にふさわしい抹茶を届けているのかは、まだ分からない。
ただ、その問いを常に持ち続けながら、プロフェッショナルであり続けたいと思う。



