五山送り火の夜、一服の抹茶を点てる

京都五山送り火の夜、一服の抹茶を点てる

京都五山送り火の大文字

8月16日、京都では五山送り火が行われました。

夜8時になると、東山の如意ヶ嶽に「大」の文字が浮かびます。

そこから5分おきに「妙・法」「船形」「左大文字」「鳥居形」と点火されていきます。

京都の夏を代表する風景なので、今では五山送り火を見るために国内外から多くの人が京都へ来ます。

海外からの旅行者もずいぶん増えました。

ただ、五山送り火というのは、本来は夜空を彩るイベントではありません。

お盆の間、この世へ帰ってこられた先祖の精霊を、再びあちらの世界へお送りするための行事です。

京都では、こうした精霊を親しみを込めて「お精霊さん(おしょらいさん)」と呼んだりします。

今年は雨も降らず、無事に行われてよかった。

3年くらい前だったでしょうか。

大文字に点火される30分ほど前に、いわゆるゲリラ豪雨がやってきた年がありました。

巻き上がる風、雷雨、あの時は、さすがに今日はどうなるのだろうと思ったのを覚えています。
それでも点火の数分前に止むのが送り火。不思議なものです。

送り火は山に火を点ける行事なので、当然ながら天候の影響も受けます。

毎年同じ8月16日に行われていますが、毎年同じように見えるわけではない。

その年の天気や、その時に一緒に見た人、その時の自分の状況まで含めて、記憶に残っていくものなのかもしれません。

 

お迎えして、そしてお送りする

お盆というのは、亡くなった人をただ思い出すだけの期間ではありません。

一度こちらへお迎えして、ともに過ごし、そして最後にお送りする。

少なくとも京都で暮らしていると、そういう感覚は今も比較的身近に残っているように思います。

だからでしょうか。

五山送り火は大勢の人が見ているのに、不思議と華やかな感じがしません。

もちろん山肌に浮かぶ火はきれいです。

でも、花火大会とはまったく違う。

歓声を上げて見るというより、大文字に火が入ると自然と手を合わせてしまいます。

なにより、送り火を守っている地域の人たちにとっては、これは観光イベントというより、今も続いている民俗行事なのだと思います。

五山送り火の起源や言い伝えについては諸説あります。

護摩木に名前や願い事を書いて納めたり、送り火の消し炭を大切に持ち帰ったり。

そういった習わしも今に残っています。

こういうものは、どこまでが史実で、どこからが長い時間の中で生まれた言い伝えなのか、きれいに分けられないところもあります。

でも、私はそれでいいような気もしています。

何百年も続く行事というのは、歴史書の中だけに残っているものではなくて、人が信じたり、やってみたり、子どもに伝えたりしながら残っていくものだからです。

一方で、こうした行事を続けていくのは簡単ではありません。

山の火床を維持するだけではなく、周辺の山林を守っていくことも必要になります。

京都新聞の記事によると、京都市では宿泊税を財源として、五山送り火を支えるアカマツ林の維持などにも活用していくそうです。

私は、これはとてもいい税金の使い方だと思います。

京都を訪れる人が宿泊税を納め、そのお金の一部が、京都に昔から残っている文化や山を守るために使われる。

観光によって得たものを、またその土地へ戻していく。

観光客を呼ぶために文化を利用するのではなく、観光によって文化を残していく。

そういう循環になれば、とても健全だと思います。

山に火が入り、やがて消えていく。

送り火を見ていると、「見送る」という行為について少し考えます。

送り火のあとに、一服

五山送り火の夜に点てた一服の抹茶

ここから抹茶の話になります。

ただ、先に書いておくと、五山送り火と抹茶に直接の関係があるわけではありません。

送り火の日には抹茶を飲む、という決まりがあるわけでもない。

でも、今日送り火を見ながら、火が消えたあとに一服の抹茶を点てるというのは、悪くないなと思いました。

大文字に火が入る。

自然と手を合わせて、お精霊さんを送る。
親不孝もんですが、この時くらいはちゃんとします。

そして火が消えるのを眺め見て、おもむろに茶碗に抹茶を入れて、湯を注ぐ。
今日は暑かったのでガラスで。

茶筅を振る。

茶筅が茶碗に当たる音というのは、改めて聞いてみると結構静かな音です。

その音を聞きながら、もう会うことのできない家族のことを思ったり、昔一緒に暮らしていたペットを思い出したりする。

あるいは、もう戻ることのない昔の時間を思い出す。

何かをお願いする必要もありません。

特別な作法をつくる必要もない。

ただ一服を点てて、静かに飲む。

それくらいでいいと思います。

抹茶というと、どうしても茶道の作法や道具の話になりがちです。

もちろん、それも大切です。

でも、誰かを思いながら一服飲むくらい、もっと自由でいい。

送り火が終わると、私はいつも「これで夏も終わったな」と感じます。

実際には京都はまだまだ暑いですし、明日から突然秋になるわけでもありません。

それでも、祇園祭が終わり、お盆が来て、五山送り火が終わる。

そうすると、季節がひとつ先へ進んだ感じがします。

 

京都の文化は、暮らしの中にある

五山送り火を見るために、毎年たくさんの人が京都を訪れます。

観光で見ても、もちろんいいと思います。

大文字が山に浮かび上がる光景は、一度見るとやはり印象に残ります。

ただ、その向こう側に、先祖を迎えて、そして送り出してきた人たちの暮らしがあることは忘れたくありません。

去年だったでしょうか。

吉田山の中腹で、いつものように送り火を見ていた時のことです。

上空を何かが飛んでいました。

ドローンだったのか、ヘリコプターだったのか、今となってはよく分かりません。

ただ、その時になんとも言えない、やるせない気持ちになったことだけは覚えています。

もちろん撮影したい気持ちも分かります。

きれいなものを残したいという気持ちも分かる。

でも、目の前で行われているものを「見るもの」としてだけ扱ってしまうと、何か大切なものを取りこぼしてしまうような気もします。

そんなことを考えていると、抹茶も同じなのかもしれないと思いました。

今は世界中で抹茶が飲まれています。

ホテルで点てられる抹茶もある。

高級な茶室で飲む抹茶もある。

抹茶ラテもある。

SNSできれいに撮影される抹茶もある。

それはそれでいい。

ただ、抹茶というのは本来、もっと人の暮らしの近くにあるものだったのではないかと思います。

嬉しい日に飲む抹茶。

客人を迎える時に点てる抹茶。

ひと仕事終えたあとに飲む抹茶。

何となく今日は飲みたいと思って点てる抹茶。

そして、ときには誰かを思いながら飲む抹茶。

別にすべての一服に意味を持たせる必要はありません。

でも、たまにはそういう一服があってもいいと思います。

8月16日。

京都の山に灯った火が消えていく。

お精霊さんを送り、少しだけ部屋を静かにして、一服の抹茶を点てる。

今年のお盆を終える一服です。

 

さて、京都アンテナショップ丸竹夷は明日まで休業となります。

営業は8月18日(火)から。

私も明日までは、もう少しだけ夏休みです。

執筆者
成沢 崇
京都アンテナショップ丸竹夷 店主

宇治茶・抹茶専門店として、宇治の茶農家や製茶問屋と対話を重ねながら、国内外のお客様へ抹茶をご紹介しています。
日々さまざまな抹茶を試飲し、その土地ならではの個性や背景をお伝えすることを大切にしています。

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