京都・祇園祭 後祭の山鉾巡行【196年ぶりに「鷹山」復帰】


公開日 2022年7月26日 最終更新日 2022年7月26日

京都の夏を彩る祇園祭は3年ぶりとなる山鉾巡行が行われ、7月17日の前祭の山鉾巡行に続いて24日に後祭の山鉾巡行が行われました。
前祭の宵山の様子はこちら>>

196年ぶりに巡行に復帰する「鷹山」や龍頭に金箔が新たに貼られて初の巡行となる「大船鉾」など豪華絢爛に飾られた山鉾が都大路を通りました。

今回はそんな祇園祭後祭の山鉾巡行の様子をご紹介します。

 

山鉾巡行の歴史

祇園祭は八坂神社の祭礼として疫神怨霊を鎮める祇園御霊会が起源とされ、貞観11(869)年、全国に疫病が流行したときにその退散を祈願して長さ6メートルほどの槍のような形をした矛を現在の二条所の近くの神泉苑に当時の国の数と同じ66本立てて、牛頭天王を祀ったのが始まりと言われています。
この祇園御霊会は元禄元(970)年以降、毎年の行事となりました。その後、平安時代から室町時代にかけて次第に賑やかになり、室町時代に現在の山鉾が建てられ始め58基の山鉾が京都の町を進みました。

その後、応仁元(1467)年の応仁の乱により京都の町だけでなく山鉾も焼き尽くされ祇園御霊会が中止となります。そして明応9(1500)年に33年ぶりに復興し山鉾36基が復興され前祭に26基、後祭に10基が巡行されたと記録が残っています。

その後も宝永の大火(1708年)、天明の大火(1788年)、蛤御門の変(1864年)と三度の大火に見舞われながらも、町衆の熱意と努力により復興され現在に至っています。

その後、様々な理由から昭和41(1966)年に24日の後祭の巡行が前祭に合同され長らく山鉾巡行は17日のみとなっていましたが、平成26(2014)年に後祭の最後尾を務めていた大船鉾が復興されたのを機に24日の後祭での山鉾巡行が宵山も合わせて復活しました。

その後、令和2(2020)年に新型コロナウイルスにより山鉾建て、巡行が中止され、翌年の令和3(2021)年も山鉾巡行は中止が決まり、17基の山鉾が建てられるだけとなりました。

そして今年、3年ぶりに山鉾巡行が復活し後祭には196年ぶりに鷹山が巡行に復帰しました。

 

山鉾巡行の朝

後祭の山鉾巡行は午前9時半に烏丸御池の交差点を出発し河原町御池から河原町通を下がって、四条通りから各山鉾町へ帰るのが巡行ルートです。

前日までに宵山提灯で飾っていた部材を解体し、朝6時半頃から懸装品や御神体などの装飾を完成させて御池通へと向かいます。

 

鈴鹿山

烏丸通に面している鈴鹿山では朝7時半にはすでに見送りやご神体の着付けが終わろうとしていました。

ちなみに山鉾巡行の見どころの一つに交差点にさしかかると、大きな車輪の下に竹を敷いて、水をまきながら直角に方向転換する「辻回し」があるのですが、烏丸御池や河原町御池の交差点には大きなカメラを持ったカメラマンがすでに場所取りを始めていました。辻回しの写真を撮りたい方は8時には待機していたほうがいいかもしれません。

 

黒主山

室町通三条下ルにある黒主山は、謡曲「志賀」を題材にした山で御神体の大伴黒主が桜を見上げてるのが特徴です。今取り付けしている欄縁の飾り金具には桜や椿、菊、紅葉などの透かし彫りがされています。

御神体や前に掛かっている織物の水引などが前日の宵山まで会所にお祀りされており、当日の朝にこれらを飾り付けて巡行に出発します。この姿は朝8時半頃まで行われているので巡行を見る前に山鉾町でこういった様子を拝見することができます。

 

鯉山

午前8時前、室町通六角下ルにある鯉山ではその名を抱く鯉が取り付けられようとしていました。

鯉山

鯉山の見送りや前懸、胴懸、水引、見送りはすべて重要文化財に指定されている懸装品。特に鯉山の見どころの一つである見送りは美しく、「イーリアス」に記されたトロイア戦争物語を描いた16世紀のベルギー製織物です。

 

鷹山

そして今年の後祭で歴史的な一日を迎えるのが196年ぶりに巡行復帰する鷹山。この日は町の人達や観光客で大賑わいでした。

去年までは休み山でお囃子の演奏をこの写真の左の山音株式会社前で行っていましたが、今年はこの場所に山が建ちました。屋根もまだ白木の状態で初々しさがあります。

来年にはこの屋根に漆塗りがされ金工品が取り付けられるそうです。

 

鷹山

山の下では車方の人たちが出発の直前まで作業されていました。左に写っている板は辻回しに使用する竹で交差点にさしかかると、大きな車輪の下にこの竹を敷いて、水をまきながら直角に方向転換します。

 

南観音山

午前8時、南観音山では囃子方が山に移動し始めています。曳き手の人がすでに集まっておりいよいよ出発が近づいてきました。

 

 

北観音山

午前8時半、いよいよ各山鉾が巡行に向けて自分たちの街を出発します。

新町通りでは北観音山が南に下り上がってきた南観音山とお囃子のやり取りをしながら順次御池通のある北へ上っていきます。

 

南観音山

 

 

南観音山

 

 

南観音山

巡行の行われる御池通の開けた場所で見るのもいいのですが、私はこの昔ながらの狭い碁盤の目を進んでいく姿が好きで好きでたまりません。

 

大船鉾

南観音山が過ぎると大船鉾がやってきます。今年は龍頭の金箔が新調されて初めての巡行です。朝日に照らされて光り輝いていました。

橋弁慶山

後祭のくじ取らずとして巡行の先頭を行く橋弁慶山も午前9時前に烏丸通三条を北上していきました。

鯉山

鯉山は室町通を蛸薬師通りに一度下がって町の人達にその姿を見せてから北へ上っていきます。

 

いよいよ山鉾巡行が始まります

 

有料観覧席

今回は観覧席のチケットを頂いていたので9時15分頃に席へと向かいました。
ご用意いただいた席が市役所前の南側の席。なんとテレビ中継を行うKBSのブースの前でした。

今まで有料観覧席というとお金を払って直射日光に照らされて、、、というイメージでした。それなら四条の高島屋や大丸の前のほうが涼しいというのが大半の人の声だったと思います。

 

観覧席

ですが、この席はなんと日陰でした。後ろの大きな街路樹が上手に日光を遮ってくれています。ちなみに道路向かいの北側と呼ばれる席は炎天下といった感じで皆さん暑そうでした。

祇園祭の公式パンフレットや手ぬぐい、凍らせたアクエリアスなどが付いてくるので立ちっぱなしで山鉾巡行を見るのが辛い方は観覧席がおすすめです。

 

巡行先頭

午前9時半に烏丸御池から巡行が出発して、市役所の西南角に設けられたくじ改めの向こうに山鉾が見えてきました。

 

橋弁慶山

橋弁慶山

後祭の先頭はくじ取らずの橋弁慶山。

 

橋弁慶山

橋弁慶山は謡曲「橋弁慶」を題材にした山で右の弁慶と左の牛若丸が五条大橋で戦う姿があらわされています。人形は仏師康雲作で永禄6年の銘があります。

前懸には富岡鉄斎の原画「椿石図」、胴懸は円山応挙下絵とされる「加茂祭礼行列図」

 

北観音山

北観音山

北観音山は「上り観音山」とも呼ばれ、楊柳観音像と韋駄天像をお祀りしています。観音懺法の主旨にちなんで見送りの横から大きな柳の枝をさし出しています。

北観音山の真松の枝には尾長鳥を飾り、水引や欄金具など豪華な装飾で飾られています。

 

浄妙山

 

浄妙山

橋弁慶山と北観音山はくじ取らずとして順番が決まっており、3番めの浄妙山からくじ改めが行われます。コロナで療養中だった門川市長が立ち会いをされていました。

今年の巡行の山一番を引いたのは浄妙山です。

平家物語の宇治川の合戦を題材にした山で、御神体の人形は一来法師が筒井浄妙の頭上を飛び越え先陣に出る瞬間を表しています。左手一本で躍動感のある姿が人気の山です。

飛び越えられている筒井浄妙の鎧「黒韋縅肩白胴丸(くろかわおどしかたしろどうまる)」は重要文化財に指定されています。

 

浄妙山

浄妙山が通る頃には、先を行っていた北観音山が烏丸御池の交差点を曲がるために辻回しを行っています。

この交差点門も人気の写真スポットで多くの人が集まっていました。

 

鯉山

鯉山

 

鯉山は龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説「登竜門」を題材にした山で木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様が表されています。

 

 

鯉山

 

鯉は左甚五郎作といわれ、山全体を飾る前懸、胴懸、水引、見送りは「イーリアス」に記されたトロイア戦争物語を描いた16世紀のベルギー製織物。

 

鈴鹿山

鈴鹿山

午前10時20分、鈴鹿山が見えてきました。
その向こうに見える大きな真松を乗せた山は南観音山です。

 

鈴鹿山

鈴鹿山は伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫命)の伝説を題材にした山です。

御神体の瀬織津姫命は女の姿で金の絵帽子と能面をつけて手に大長刀を持つ姿。

山に立つ松には絵馬がつけられており、巡行後に盗難除けの護符として授与されます。欄縁金具「山端和親」は山鹿清華下絵の四季花鳥文様。

 

鈴鹿山

見送りは昭和57年に新調された染彩ハワイの蘭花。

 

南観音山

 

南観音山

くじ取らずの南観音山が5番目に登場してきました。
後祭は前祭に比べて巨大な山鉾は少ないのでこのサイズ感が目の前に来ると圧倒されます。

 

南観音山

 

南観音山

 

南観音山

北観音山が「上り観音山」と呼ばれるのに対して、南観音山は「下り観音山」と呼ばれています。御神体は楊柳観音像と善財童子像。

南観音山も北観音山と同じく諸病を防ぐと言われる柳の枝を後ろの見送りに挿しています。

南観音山

新松の枝には鳩がとまり、見送りは加山又造下絵の「龍王渡海図」

 

役行者山

、、、、、南観音山に見とれていて写真撮ってませんでした(ゴメンナサイ)

 

黒主山

南観音山の辻回しで御池通の巡行スピードは一旦緩みます。

巡行もいよいよ後半で遠くには鷹山の真松も見えています。

黒主山は、謡曲「志賀」を題材にした山で御神体の大伴黒主が桜の花を眺めている姿が表されています。

この御神体は「寛政元年五月 辻又七郎狛元澄作」の銘を持ち1789年に作られたことがわかっています。

欄縁の飾り金具には桜や椿、菊、紅葉などの透かし彫りがされこの山だけ夏の暑さから開放されたような爽やかさがあります。

 

八幡山

八幡山

八幡山は北観音山の北にある舁山で町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請しています。鳥居の上にとまる二羽の鳩はこの浴衣の人の背中のように向かい合って止まっています。

八幡宮は普段は町会所の庭に祀られている。天明年間(1781〜1789)に制作されたと言われる高さ1メートルの純金箔の社殿は蔵で保存され、巡行日のみ山に飾られる。

 

八幡山

すべての山鉾の後ろには台車が走っている。この中には水や氷などが入っており巡行中も水分補給ができるようになっています。

 

鷹山

鷹山

 

いよいよ鷹山がやってきました。くじ取らずとして10番目に登場しました。

196年ぶりに巡行復帰した歴史的な日となりました。
個人的に思い入れが深いので写真も多くなっています。

前日は夜中の0時を過ぎてもずっと作業をされていました。
そして何年も前からこの日のために準備をしていたところに、新型コロナウイルスによる非常事態。

それらを乗り越えての復興です。

多くの取材カメラと拍手に囲まれてやってきました。

 

鷹山

鷹山の歴史は深く、応仁の乱以前から出されていたことが文献に残っています。

 

御神体は鷹匠・犬飼・樽負の3体で、これまでは休み山として御神体を拝見することはできましたが、この日初めて巡行に先立って御神体が山に乗りました。

 

鷹山

見送りは鷹の図。

火災により残ったのは御神体の頭部とて6本のみとなってしまい、文政9(1826)年を最後に巡行への参加を休止して現在まで居祭りを続けていました。

今年はお披露目ということで白木の屋根となっていますが、来年の巡行には他の山と同じように屋根に漆が塗られ金工品がつけられるそうです。

 

鷹山

注目の辻回しも少し時間を掛けながら事故もなく回っています。

そして、巡行の殿を務める大船鉾がその姿を暖かく見守っていました。

大船鉾

 

大船鉾

大船鉾は前祭の船鉾が出陣船鉾と称されるのに対して凱旋船鉾と称されます。

鷹山が復興になる前までは最も新しい鉾がこの大船鉾で、蛤御門の変で大部分を消失し、居祭りとなっていたものを平成26年に約150年ぶりに復興されました。

 

大船鉾

先頭に飾られてる龍頭にはこの度、金箔が施されて初めて鉾に乗せられました。

一際豪華に輝く黄金の龍はまさに殿にふさわしい迫力です。

 

大船鉾

宵山では道幅の狭い新町通りに建てられているので御池通に出てくると、まるで船が海上を進んでいるような壮大さがあります。

 

大船鉾が河原町御池の交差点を通ると席での巡行観覧は終わります。

このあと巡行は河原町を下がって四条で辻回しをし、それぞれの町内に帰っていきます。

 

この日は3年ぶりの山鉾巡行ということもあり後祭としては例のないほど多くの人で賑わっていました。

巡行が四条通に着くと今度は新町通りに入っていくそれぞれの山が、自分たちの街に帰るために順番の入れ替えが行われます。お昼ご飯をのんびり食べていたらその瞬間を見ることができなかったのですが、聞いた話では一番最初に北観音山が到着し、四条通の左車線の脇で待機、その後ろから来た南観音山は北観音山の後ろで待機し、鷹山を先行させていたそうです。

新町通りに帰るには鷹山、北観音山、南観音山の順に四条新町の交差点を北側へ上がって、殿の大船鉾が南へ下ります。その為の順番入れ替えが四条通で行われるのです。

もちろん、その時には互いの山同士でお囃子の掛け合いが行われて大盛りあがりだったそうです。

そんな熱い演出がされることをすっかり忘れて私は冷麺食べてました、、、

千代飯店

冷麺定食にしてご飯茶碗一杯の焼飯もつけちゃいました。

場所は堀川中立売を東へ行った油小路の角にある千代飯店です。昔から通っている京都らしい町中華のお店。

 

美術館に立ち寄ってエアコンの涼しい空気を浴びてから四条に戻ると、、、

 

南観音山

南観音山が四条新町で辻回しをしていました。
この時点で午後1時。

このあと夕方からは四条の御旅所で還幸祭が行われます。
毎年のことではありますが、梅雨も開けて夏本番になるこの季節は暑さも厳しく、この日も新町通りに救急車が2台入り、熱中症になったらしい人を救護していました。

大船鉾の辻回しと救急車が2台という、なかなか見ることのできない組み合わせでした。暑さ対策だけは万全にしてお出かけください。

 

このあと夕方からは還幸祭が四条御旅所で執り行われるのですが、こちらはコロナ禍ということで御旅所から八坂神社までまっすぐお帰りになるということでした。

通常なら3基の御輿がホイットーホイットー!という掛け声とともに市内を練り歩くのですが、こちらは来年以降に復活を期待したいです。

 

というわけで7月24日に3年ぶりに行われた祇園祭後祭の山鉾巡行の様子をお伝えしました。


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